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Der Mond zeigt mir meine eigne Gestalt

「月は私自身のかたちを照らし出した」

自己 vs 自身

今日は勝手に厨二病の日ということにして、己の中に飼っている自分同士の相克についてまとめようと思う。

 

私の中には最低3人の自分がいて、依り代としてのわたくしを乗っ取り乗っ取られながら毎日が進んで行く。

その3人は感情、情動の擬人化とも言えるし、姿も性格も各々持っている。

 

 - 少女αの場合

明るい好奇心の塊。興味・関心の成績だけは良さそう。ただ気の移り変わりが激しい。髪も皮膚も色白の女の子供。白い質素なワンピースを着ている。成人βからしょっちゅう折檻を受けている。ので傷だらけ。最近姿が見えない。

- 成人βの場合

格好も性格もきちっとしていないと許せない厳格な男。完璧主義者。疑り深い。常に手に鞭を持っている。が言葉責めが主な攻撃手段。よく依り代を乗っ取ってくる。

- ジュブナイルγの場合

αがβから攻撃されていることが分かっていても見て見ぬ振りをする、または過小評価する事なかれ主義者。そしてその虐待の程度についてすぐに忘れる。その自覚はある。期限までにうまく仕事ができなかったり頭の中でタスクがオーバーフローし動作停止したりする。その後バレてないかと焦って周りを気にするのが通常営業。依り代のデフォルトモード。姿形は定かではない(多分女性ベース)、実質のある影。

 

 面白そうなものを見つけるとαが出てくるし(そういう時はβは静かにしている)、自責的、自罰的な思考の時には鞭を振るうβの陰でαが泣いているように、γを中心としてシームレスに彼らが登場する。

その結果どうなるかというと、自分で自分を責めながら、同時に自分を撫でていたわってやっているという結果となる。何ともアンビバレントである。もしくは、自責的な思考の時に、「こいつなんか」どうにかなってしまえばいい(配慮した表現)となぜか二人称、他者からの目線から攻撃する結果となる。不思議な光景のように思えるけれど、皆様こうした時どのように対処しているのでしょう?

 

肝心なγに明確な姿形はない。自分の顔かたちはうまく思い出せない(そして鏡を見てがっかりする)ものであることが関係しているのかもしれない。

 

とりあえず、今日のところはここまでまとまった。また進捗があったら殴り書こうと思う。

 

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自らを開陳する行為は楽しいのだけれど、のちに己の身を削ぐような自傷行為のように思えることの方が多い。

「表現は所詮排泄だ クソで涙してクソで共感を求め クソを賛美して クソに人生を賭ける 売れればいいけれど売れなきゃただのクソ」(運命複雑骨折/The Back Horn)

所詮、とはいえ排泄できなければ苦しい(らしい)ですし、排泄時の痛みは痔のようなものとして別に対処した方が良いのかもしれませんねぇ