Der Mond zeigt mir meine eigne Gestalt

「月は私自身のかたちを照らし出した」

白紙

矛盾する話をしよう。

わたくしは、ついったやこの備忘録をやっておきながらも、文章を書くという行為がほとほと苦手である。

調子が悪い時には過呼吸起こす程度に得意な相手でない。

 

まず、何が文章を書くことの問題なのか?考えてみる。

- これまでに何も感じていないのに何かを書くことを強要されてきた

- 書くべきことが頭の中に溢れて纏められない、ように見せかけて書くべきことが頭の中にない、一種の混乱(見せかけられてる方がポイント)

- これまでに何がだめなのか分からないまま作文にダメ出しばかりされてきた

- 完璧主義(の割には詰めが甘い)

- 要約できない

- どこが悪いのかよく分からないため推敲もままならない

- 流れが脱線し捻じ曲がっている自覚があってもうまく収束されることができない(脱線した話題の結論になぜか着地する(cf.前の記事))

- 考えた順番に書いてしまう癖あり(下書きの適当な紙に何か書く暇あったら用紙に書いてしまうのだ)→怒られる

 

こんなところだろうか?

最後のは紙媒体なら紙を切って並び替えて文章の流れが通るようにする、あるいは電子媒体ならば最高の発明・コピーアンドペーストを駆使して並び替えれば解決するのでさほど問題ではない。

書くべきことが頭の中にないのは如何ともしがたいように思えるのだが、対策はあるのだろうか?逆に書くことさえあればここまで600字、原稿用紙1枚半もの量だらだらと書くことができるのだが…。

これはある種問題になる時もあり、TOEIC SWなんか書かされたり喋らされるときでは、書くことが日本語でさえもないという問題が英語力の欠如という捻じ曲がった結論に行き着いてしまうのである。

これまでに訳の分からぬままダメ出しされた経験、あと小学生どころか大学生になってまでも感想文が書けずに教室に残され、はてには宿題として持って帰らされたあの焦りと屈辱(昔は作文の他は出来が良かったので特にそう感じさせられた)、こうした微小な傷が膿んで作文への苦手意識となったのだろう。

問題がわかったところで解決策は少なそうなのだが、対策があれば教えてくださるとありがたいです。

 

 

しかしそれにしても一人語りは楽しい!本当に一体この一人語りと学校の作文とは何が違うのだろう?